”間”と共に生きていた時代

旅行に行ってきた。萩に行ってきた。萩を選んだ理由は長州藩を一目見ておきたかったからである。

萩ではとにかく歩き回った。自分の宿がちょうど町の中心(勝手に僕はそう思っている)であったこともあり、左の城下町サイドから、右の松陰神社エリアまで、とにかく歩いた。旅先では歩いたり走ったりするのが昔から好きだった。その町を知るには歩くことが一番なのだ。

萩はとにかく良かった。
観光地なのに人が少ないことがもう最高なのだが、他にも江戸の街並みや海鮮料理、田舎ならではの道路の狭さや野良猫など、日本の良さが詰まっていた。

せかせかした空気はせず、石畳の道、土塀越しにのぞく庭、そして耳に届くのは自分の足音だけ。

萩城跡

高杉晋作の家から松下村塾まで歩いてみた。地図で見れば2キロちょっと。でも歩いてみると意外と遠い。自分は思わずポッケからイヤホンを取り出し、晋作についてのPodcastを聴きながら歩くことにした。

松下村塾まで歩きついた時にふと考えた。

晋作はこの道のりを毎日往復していたのかと。
きっと歩く他に手段はないだろうが一応調べてみたが、やはり塾生は歩いて松下村塾に通っていたみたいだ。晋作に至っては、家が厳しかったことから夜に抜け出して松下村塾に通っていたと、なんかの本で読んだ記憶がある。

この距離をほとんど毎日。ある一人の先生と学ぶために。

どんなことを考えながら歩いていたのだろうか。
もちろん、江戸時代の終わりにPodcastはないだろうし、音楽を聴きながら歩くことなんてない。本を読みながら歩くことは不可能でないだろうが、夜道では明るさ的に無理もあるだろう。

松下村塾

歩いて30分。
そもそもこの30分という時間に対する感覚も当時で現代では全く違うんだろう。たぶん自分を含め、現代を生きる(日本やニュージーランド)ほとんどの人が何もせずに30分を過ごすことは不可能だ。何か音楽を聴いたり、PodcastやYouTubeでインプットしたり、何かしないとという焦燥に駆られてしまう。
ジムでワークアウトしてる人が皆イヤホンをしていることからも間違いない。

晋作や塾生はどんな気持ちで松下村塾まで30分以上歩いていたのだろう。
どんなことを考えながら帰路を歩いていたのだろうか。一つだけ言えることは、現代人のように何かをインプットしなくてはという気持ちはなく、何かの思考や教えに対して、深める時間であったのだろう。

高杉家

隙間時間をどう捉えるか。
この”間”とどう生きていいくか。
きっと今の自分はインプットに駆られすぎている。
アウトプットなんて陳腐な言葉でなく、何かもっと深めていく作業が足りてないし、必要な気がした。

そんなことを、萩やその周りの街並みから、高杉晋作から、そして松蔭先生から学んだ気がした。

ああ、江戸時代に生てみたかった。

ねこ。
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