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ついに永住権をゲットしました、の報告。

先日、ついにニュージーランドのResident Visa(永住権の一歩手前みたいなやつ)をゲットしました。ここまでくれば仕事はなんでもできるし、期限なしでニュージーランドに滞在することもできるし、放っておけば永住権も獲得できるので、かなりの安心感があります。

大学を卒業してからニュージーランドに来てこれまでたくさんのことがありましたが、当初はニュージーランドに住み着くつもりなんて全くありませんでした。それが今となっては永住権を獲得するまでに至るなんて、少しばかり感慨深いです。

と、思い立ったが吉日、記念に久しぶりにブログでも書こうかと思ったら、なんと僕のブログのサーバーが更新できておらず、まさかのデータ全飛びが発覚。これまでに書いてきた記事が全て消え去ったショックで数日間寝込みましたが(インフルエンザでぶっ倒れてました)、心機一転新たに作り直して、また新たにブログを再スタートさせていきたいと思います。

バコロド

乗合タクシー
バイタク?
バコロドの渋谷。
サッカーに参戦。
スラム。

僕の海外生活はおそらくここが原点です。周りの友達が就職した中で、自分だけがフラフラとしていました。大学を卒業したら海外でサッカーをして生きていくなんて強い志なんてものはなく、今後どうやって生きていこうか文字通り彷徨っていた時期でした。今だから言えますが、当時の僕はかなり強がって生きていたように思います。

そんな時に英語留学を兼ねて滞在したフィリピンでの1ヶ月間は、僕の人生の中でも少し異質な時間でした。これまで関わったことのないような人たちと時間を共にして、価値観の全く違う生活を目の当たりにしました。やりがいとか金とか金とか金とか、就活で死ぬほど聞かされた価値観と違った人生を送っているフィリピン人を見て少し救われた気がしました。(一応言っておきますが、人生を楽しんでいるように見える彼らですが、お金に関しては僕ら日本人よりもシビアに向き合いながら生きていたように見えました。)

1ヶ月間で何度食中毒になったかわからないし、住みたいかと言われれば絶対にNoなんだけど、僕にとっては必要な時間であったことは間違いないかと。

ファーム

この中に住んでました。
自然。
自然2。
うし

フィリピンで学んだ英語を武器にいざニュージーランドへ。外国人と一緒に生活して馬鹿なことをして楽しむキラキラした僕の海外生活は初日で消え去ったことを今でも覚えています。あれだけ勉強したつもりだった英語が、全く聞き取れないんです。詰みました。

まあ英語のことはおいといて、僕のニュージーランド生活はファームからスタートしたことも記しておかなければなりません。ここから数年はサッカー選手として海外生活の主軸を立てていくことになるのですが、始まりはファームジョブだったんです。

なぜファームジョブを最初に選んだのかということに、明確な目的はありませんが、ど田舎でインターネットから隔離された中での自然生活を人生で一度、経験してみたかったのです。結論からいうとファームは大変だし、僕の人生ではないと思ったけど、こうして自分たちの食べている野菜が収穫されてスーパーに届いているというリアルをしれたことはとても良かったです。

チーム、仕事、そして家探し

初めての家。・
リビング。
購入して一発でパンクしたボール。
みんなが寝静まった後の勉強タイム。

マジで何も知らないまま飛び込んできたこの町で、選んだ初めてのクラブでビザのサポートなど色々と世話になり、今もまだプレーしているのを誰が予想できたでしょうか。

チームにしろ、仕事にしろ、家にしろ、これだけオンラインの時代に全て飛び込みで自分を売り込みました。何がそうさせていたのか分かりませんが、今の自分にはできそうにないし、という時の僕はそれなりにロックだったなと。
性格的に人生がずっと波乱万丈に満ちていたら疲れてしまいますが、時にはこうしたガッツも悪く無いなと、今ではそう思っています。10年後どう思っているかは分かりません。

コロナ

街から人が消えました。
コロナ禍の家パーティ。

入国してようやく全てが落ち着いてきた頃に始まったコロナ。不謹慎なことなのでラッキーとは言いませんが、コロナが起きた時期にニュージーランドにいたことが、今も僕をこうしてニュージーランドに繋ぎ止めている一番大きなきっかけのように思います。半強制的にニュージーランドに滞在せざるを得なかったことで、時間をかけてこの国をどんどん好きになっていきました。英語もこの時期にだいぶ伸びた気がするし、ロックダウンをきっかけに時間をかけて勉強もできました。

それから

長くなりそうなのでここからは形式を変えさせてもらいます。コロナの影響で2年半近くニュージーランドに滞在してからは、オーストラリア、日本、スペイン、日本を経て、2023年にニュージーランドにまた戻ってきました。冒頭にも述べたように海外でサッカー選手として生きていく強い志があったわけでも無いのに、ご縁あってサッカーでいろんな国に行けたことは感謝しかありません。特にスペインで受けたサッカーの衝撃は、行って良かったと本当に思える経験でした。

こうして振り返ってみると、僕の海外生活はそこまで充実していたものではありません。海外生活と聞くと何故かキラキラしているように思えますが、実際はかなり地味です。かなり孤独な時期もありました。英語のためと思い外国人と一緒に生活していましたが、ぶっちゃけ家ではそんなに話さないのがリアルです(性格上)。お酒の文化も全然違くて、ガヤガヤしたパブで立ち話するより、日本の静かな居酒屋で美味しい料理と一緒に飲むお酒が断然好きです。好きでもないクラブに付き合いでついてって、一人で孤独を味わったことも何度もありました。ちょっと小腹が空いたなーと思っても、日本みたいに便利なコンビニはありません。基本的にファストフードしか選択肢がありません。温泉に入りたいと思っても、もちろんありません。なんならシャワーのみの生活です。日本が恋しくなることももちろんあります。それでも海外に居続けることに強烈な理由があるのでしょうか。僕自身もあまり分かりません。

海外に出てから永住権を取るまでにたくさんの経験をしてきましたが、一つ人生の糧としたいものは、「働けない経験」をしたことです。ビザのルール上、働きたくても働けないという経験を何度か経験してきました。お金を稼ぎたくても稼げないんです。今だからこそ言えますが、貯金が減っていくばかりの生活はメンタル的に本当に苦しかったし、周りのみんなが仕事をしている中、何もせずに生活をしているのは本当に苦しかったです。

きっと日本にいたら、ここまで極端に仕事ができないという経験をしなかったと思うので、これはこれで海外生活の貴重な経験として大事にしておきたいと思います。

これからはどうしていきたいのか。

これまで何度も悩んできましたが、言葉にできるほどまとまってはいません。ですが、仕事はなんでもできるし、住みたければなんでも住んでもいい状態が手に入った今、できることが多く増えてすごく安心感に溢れています。

一方で、ついこないだまでのスリル感にもかけていて何か物足りないというか、このままでいいのかという不安がいつも付き纏っているのも事実です。

何が言いたいかというと、きっと人生はそんなところなんだと思います。これからも頑張って生きていきます。

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