頑張ってないといけないコンプレックス
いつからか頑張っていないことに対するコンプレックスを抱えているように思う。
日々の生活や何かに取り組む中で、「自分頑張ってます」という自負がないとどこか罪悪感があったりやるせなさを感じてしまう部分がある。
そしてたぶん、今の自分は自分の人生の中で相対的に考えると頑張っていない。少なくとも自分ではそう認識している。
そもそも頑張るとはなんなのか。
語源によると、頑張るという言葉は「我を張る」という自分の軸を曲げないニュアンスの言葉から派生して、忍耐強く耐え抜くことややり抜くという意味に変化していったみたいだ。
では、なぜ頑張らないといけないのか。
もちろん頑張ることで成果物や給料が上がることが期待される。そしてやり抜くことが地震につながったり、頑張るということ自体が成果物関係なく達成感を与えてくれることもあるだろう。
ただここで考えておかないといけないのは、仮に給料や成果物が同じだったとして、頑張っていると自己が認識している場合とそうでない場合についてだ。
先にも述べたとおり、頑張っていると達成感や自信を得られるといったメリットはある。一方で頑張っていることで心身プレッシャーを感じたり疲弊してしまうことも代償としてあると思う。
頑張っていない場合はどうなのか。達成感などは減るかもしれないが、そのぶん余裕が生まれたりリラックスした状態で過ごせるメリットもあるのではないか。
そう考えてみると必ずしも頑張っていることが良いとも思えなくなってくる。
自分はいつから頑張っていないといけないように感じるようになったのか。きっとそれは小中高とカテゴリーをあげてサッカーをしていく上で、サッカーを通して「姿勢・態度」の部分の評価が大きいと気づき始めたことだと思う。日本でサッカーしていく上で、真面目にサッカーに取り組んでいるかは上手く評価されるための重要な項目になってくる。それがいつからか頑張っているように見せる振る舞いを演技することにつながったりもして当時は複雑な感情を抱いた時もあった。
今の自分は、おそらく頑張っていない。サッカーをしている時も自分の選択で取り組んでいる自負があるしやらせている感覚は一切ない。それは年齢を重ねたことによるものなのか、それとも日本とは全く違った文化の海外で生活していることが大きな要因なのか、わからない。
周りからみても自分でも、学生時代のような死ぬ物狂いで日々を生きているような実感はない。それでも一日一日がそれなりに幸せだし、こののんびりとしたゆとりのある生活を自分は気に入っている。海外で生きているからなのか、それはわからないが小さな変化を実感している今日このごろ。
