握手に始まり握手に終わる、もしくはハグ。

最近カフェで働いてて気にかかることは、スタッフの振る舞いについてである。ドイツやイギリスから来てる人たちは、暇になるとまあよく喋る。隙間時間を見つけては、まあよく喋る。それは別に何もおかしくないのだが、彼らはお客さんの前であろうと平気で腰をかけたりする。日本人の自分にとっては、それは”お客様”の前ではタブーと教育されてきた行為だ。だけどきっと彼らにはその感覚はない。面白いことに同じアジアのスタッフはそういったことはせず、どちらかといったら日本人に近い価値観を持ち合わせているように感じる。

逆に日本人やアジア人の人はニュージーランドでは「勤勉でよく働く人種」というイメージが浸透している。よく言えばそうで、悪く言えば黙々と働いてばかりで、コミュニケーションが少ない人たちと思われているかもしれない。ようは僕ら日本人の振る舞いは、彼ら西洋人たちにとって、カフェに楽しい雰囲気をもたらしていない、よくない行為をしていると思われているかもしれない。

サッカーやスポーツには、スポーツマンシップと呼ばれるものがある。ニュージーランドではスポーツマンシップという単語そのものを聞いた覚えはあまりないが、きっと近しいものは存在している。

日本人にとってのスポーツマンシップとはなんなのか。

礼に始まり、礼に終わる。これは武道から持ち込まれたものだと思うが、少なくとも僕が経験した大学サッカーまではこの慣習がある。他には敗者に対する振る舞い方や、清々しい挨拶などが日本のスポーツマンシップ教育に組み込まれているように感じる。

西洋ではどうなのか。僕がニュージーランド(海外)でサッカーをして驚いたことは、ONとOFFの切り替えである。試合ではバチバチに削り合って、Fワードを連発し、喧嘩し合っていた相手と、試合後にはとても仲良く話しているのである。そのためか、ニュージーランドには「アフターマッチ」という文化があり、試合後に相手チームと談笑を楽しむ。試合直後にビールを飲むことも衝撃であったが、さっきまで喧嘩してた相手と楽しく話す光景は、日本人の僕にとってかなり新鮮であった。

ちなみにだがニュージーランド(おそらくヨーロッパや他の国を一緒)では試合の前後に礼はしない。始まりに握手を交わし、終わりには整列などせずバラバラに握手を交わしていく。

なぜ西洋には礼がないのか。

西洋のキリスト教文化では、神以外の人に頭を下げることは「服従」を意味するみたいだ。そして上下関係よりも対等な関係を重視する西洋文化では、服従を意味する礼ではなく、フラットな関係を表現しやすい握手やハグが日常的に使われるようになった。

日本の礼には服従の意味はなく、敬意の示し方である。そういえば、リスペクトという言葉は海外のスポーツ現場でもかなり聞くワードだ。

つまりはスポーツマンシップに対する根本的な考え方は日本人だろうが西洋人だろうがそこまで違いはなく、ただその表現方法としての振る舞いに違いがあるだけなのかもしれない。そう思えばカフェで相応しくない振る舞いをしていたスタッフも、根っこの部分では日本人と同じホスピタリティを持ち合わせていたのかもしれない。

きっと違うけどね。日本のホスピタリティ精神は異質だろうから。

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